米軍に占領された沖縄の小さな島で、
事件は起こった。
少年は復讐に立ち上がる──
悲しみ・憎悪・羞恥・罪悪感……
戦争で刻まれた記憶が、
60年の時を超えて交錯する。(帯紙より)
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『眼の奥の森』目取真俊
内容にかなり触れます。未読の方はご注意。
あらすじと感想
太平洋戦争末期、日本が無条件降伏をする約2ヶ月前に、苛烈を極めた沖縄戦は一足先に終結を迎える。
その終結に先駆けて制圧された小さな島の集落で、17歳の少女が米兵4人に強姦されるという事件が起こる。
少女に密かに想いを寄せていた同い年の少年はただ一人、復讐を企て実行するが、1人に重傷、1人に軽傷を負わせただけで敢え無く米兵部隊に捕えられる。
と、この少年と少女とそれぞれの事件を軸に、様々な人間模様が60年という時間の幅の中で描かれるんだけど。
何人もの視点から事件の詳細を浮かび上がらせる、という構成が面白く、最後まで殆ど一気に読んだ。
途中、少年のモノローグの章は読むのに時間がかかったけれど、本文で意味を確認しながら"うちなーぐち"で振ってあるルビを頑張って追ってよかった。
全く余所者の僕だけど、沖縄という島やそこで暮らす人の柔らかさや強さ、生きる"リズム"みたいなものと何となくだけど共鳴できて、この一冊を通してもそうだけど、後に出てくる少女の章でとても大きな効果を生んだ。
「ちかりんどー(聞こえるよ)、セイジ」
ここで、涙が溢れて止まらなくて、10分ほど読むのを中断した。
温かい涙ではない。けれど、不快な涙でもない。
色んな感情が混ざり合う中で、一番強かったのは「悔しさ」。
彼女も彼も、ただそこに生きていただけなのに。
…もしもだけど。
戦争があっても、強姦があっても、集落の人々の対応がもっと違えば、少年は復讐に走らず、少女はもしかしたら傷を癒せたかもしれない。
少年が復讐に走り、視力を失った後でも、同じく対応が違えば、二人はもしかしたら幸せになれたかもしれない。
と、思ったけれど、違う。
もう、戦争が駄目。
アメリカ軍が駄目。
何より、日本軍が駄目。
(わざわざ「軍」と書いたけど。
その「軍」は、何処にでもいるであろう人間が集まって、集められて、出来たもの。
そして人間は、程度の差こそあれ、利己的で、残酷だ。)
「わんがくいが、ちかりんな、小夜子……」
「ちかりんどー、セイジ」
魂で繋がっている、と受け取るべきかもしれない。
けれど、それは互いの中に残る幻影とであって、決して実際の相手とではない。
たった一度の人生が、命が。
年老いた脳裏に、遠い「面影」とも呼べないくらいに擦り切れた幻影だけを映し、傷だらけのまま、泥だらけのまま、終わる。
彼も彼女も、ただそこに生きていただけなのに。
そして。
事件は、彼女たちの家族や、取り巻く集落の大人や子供の人生にも、深く暗い影を落とす。
読み終えて思うのは、ここで語られているのは「沖縄の問題」「戦争の問題」というより「人間の問題」だな、ということ。(当然だけど。)
どんな時も、優しい人には優しくありたい。
そして。
暴力や欺瞞、差別には、真っ向からNOを。
加害者と被害者
事件の詳細を浮かび上がらせる視点の中に、少女を強姦し、それによって少年に重傷を負わされる米兵のものと、もう一つ、戦後60年経った沖縄の、中学2年生の女の子の話が出てくるんだけど。
どちらも、割と胸糞悪い。
ていうか、事件後の集落の住民の反応も、根本は同じなんだよね。
負傷した米兵も、中学2年生の女の子をいじめているクラスメイトも、事件を傍観した住民も、みんな。
きっと、安全や日常が脅かされた時、殆ど誰もが加害者にも被害者にもなりたくないと思い、それでもどちらかになるしかないなら、多くの人はより被害者になりたくないと思うんだろう。譬えそれが、加害者の側に立つことだとしても。
僕は、加害者の側に立つほうが真っ平だけど。
沖縄
日本が沖縄に押し付けているのは米軍基地だけではないし。
日本が沖縄から奪い続けているのは土地や海だけではない。
いつの日か。
琉球国として独立して。
僕は。
その国の民になりたい。