What’s up?

日々がたとえ繰り返しだとしても、僕はそれを愛しているんだ。

世の中に不満があるなら自分を変えろ

タイトルは「公安9課」を率いる少佐(草薙素子)の言葉。
「それが嫌なら、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ」と続く。

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Blu-ray Disc BOX 1

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攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Blu-ray Disc BOX 2

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『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002年)

あらすじ

西暦2030年、電脳化が一般化され情報ネットワークが高度化する中で、光や電子として駆け巡る意思を一方向に集中させたとしても、「孤人」が複合体としての「個」となるまでには情報化されていない時代。複雑化する犯罪に対抗するため、内務省直属の独立防諜部隊として設立された「公安9課」(通称「攻殻機動隊」)の活躍を描く。サイバー犯罪の捜査やテロリズムの抑止・検挙、要人警護、汚職摘発など極秘裏な任務は多岐にわたるが、遂行していくうちにある一つの事件が浮かび上がっていく。(Wikipediaより)

ざっくりと感想

ほぼ10年振りにシリーズ通しで観返したんだけど。
やっぱり『攻殻』はS.A.C.が一番面白い。

いや、他ももちろん十分に面白いんだけど。
何て言うかこの始まりの、物語が「前」にしか進まない感じが好きなんだな。

事件が起きる、9課が動き出す。

舞台は近未来で、殆どの人間は脳を「電脳化」していて、身体は生身のままの人間と全身、または一部を「義体化」している人間と、それ以外にも人型や思考戦車(AIが搭載されていて自らの意思で動くことができる)と呼ばれる完全な「ロボット」も同時に存在している世界。

そんな中で起こる様々な事件をそれぞれが持つ能力や特性をフルに使い、且つ鮮やかな連携プレーで次々と解決していく展開をワクワクしながら追っているうちに、すっかりその世界に自分もリンクしていく。

ここで描かれているのは一貫して「悪」と「正義」の戦い。
ただ、悪にも色々な悪があり、逆もまた然り。

そして登場人物が度々口にする「ゴースト」。
これは生命体が持つ「精神(spirit)」や「魂(soul)」みたいなものを表しているんだけど。

全身を義体化し、殆ど非生命体に近い少佐は自らのゴーストの存在を冗談粧しながら訝る。
生まれながらの機械であるタチコマたちはゴーストの存在を想像し、それを欲しがる。

「電脳化」した脳と「AI」。
ゴースト=自分を自分たらしめているモノ、はどこに宿るんだろう?

第25話「硝煙弾雨 BARRAGE」が好きなのは言うまでもないんだけど。
第2話「暴走の証明 TESTATION 」が何度も観返してしまうくらい、好き。

「ロボットは好意で微笑むのではなく、プログラムで笑う」
と作者は原作の中で書いているけれど。

「作り笑いでも脳は笑っていると勘違いする」
と脳科学者は言っている。

僕は。
電子レンジや冷蔵庫にさえも日々ゴーストを感じている。

ライ麦畑のキャッチャー

S.A.C.全26話中、独立した1話完結のものと背後で「笑い男事件」に繋がっている1話完結のものとがあるんだけど。

その「笑い男事件」というのが小説『ライ麦畑のキャッチャー』(サリンジャー著)をかなりモチーフにしたもので。
(ちなみに「笑い男」という短編小説もサリンジャー著『ナイン・ストーリーズ』の中に実在する。)


ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

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ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

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その『ライ麦畑』の主人公であるホールデン少年の言葉「I thought what I’d do was, I’d pretend I was one of those deaf-mutes.(僕は目と耳を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えた)」が「笑い男」と呼ばれる正体不明の犯罪者のマークとして使われ、事件そのものを解く鍵にもなるんだけど。

S.A.C.の中でのホールデンをモデルとして描いたであろう犯人の事はひとまず置いておいて。
(作者がどういう解釈・意図の上で「笑い男」というキャラを創造したのかは不明なので。)

サリンジャーはホールデンという人物を「反逆の英雄」としては書いていない、とずっと思っていて。
それどころか困った事やイヤな事からは問題をすり替えて逃げ出す、ダメな奴として書いている。

「インチキ」に敏感で「弱いもの」にシンパシーを持ち「純粋」を失いたくない。
これって、子供が「大人になんかなりたくない」っていう、程度の差こそあれ多くの少年少女が感じる、または感じたことのある感情なんじゃないかな。

僕がこの小説を初めて読んだのは13歳だったけれど。
「大人はインチキだの汚いだのと言っても所詮はその大人に守られていなければ生きていけないんだし、だいたい”大人はインチキ”で”子供はキレイ”なんて大雑把にも程があるし、この主人公にもっと能力なり人望なりがあったらきっと違う思考回路になっただろうし、第一どんな大人になるか、なんて自分で決めればいい」
というようなことを思った。

著者は「若い友人」が多くいたそうだから、これはその友人たちに向けた「鏡」の物語なんじゃないだろうか。

覗き込んで、何を見る?
何が見える?

永遠に子供でいたいと願っても、殆どの場合それは叶わない。

だったら君は、どうやって、どんな大人になる?

だけど僕は見てしまう

本筋とは何の関係もなく感銘を受けた会話。

バトーが少佐を映画に誘ったときに「本当に観たい映画は一人で見に行くことにしているの」と誘いを断った少佐。
「じゃあ、それほど見たくない映画は?」と訊いたバトーへの答えが「見ないわ」だった。

少佐、見習いたいです。