What’s up?

日々がたとえ繰り返しだとしても、僕はそれを愛しているんだ。

僕も酸っぱいレモンでレモネードを作ろう

先日シーズン1(全18回)の放送を終えた『THIS IS US』
全話を通して多少の波はあれどドラマとして高い水準とテンションを最後までキープしていたこの素晴らしい作品を振り返る。

簡単なあらすじ

誕生日が同じ36歳の男女3人。自分が演じる役に嫌気がさしているイケメン俳優、“脱肥満”を目標に努力する女性、幸せな家庭を築いているエリートビジネスマン。置かれている状況も性格もまったく異なる彼らには、同じ誕生日以外にも共通点があった…。それぞれが人生の壁を乗り越えようとする中で、大切なものを見つけだす。そして、3人の運命の糸がたぐりよせられる。(NHKホームページより)

上記にプラスして主人公たちの父母のエピソードも同時に進行していくので「現代編」と「過去編」合わせて5人の物語、と言ったほうがいい。

ざっくりと感想

第6話までの感想は以前に少し書いたけれど。 kugatsusuiyou.hateblo.jp 最後の最後までその伏線と回収、展開の見事さに釘付けになりながら、人生ってそうだよな、と自分自身の過去から現在への繋がりを考えて思った。

幾つもの出会いと幾つもの岐路と、生まれてからずっと今この瞬間にも行っている大小様々な選択。
そういう積み重ねが今生きている現在を作っていて、何か一つでも違っていたらきっとこの結果には至らない。

ドラマの中の彼や彼女たちも大きな選択を何度もしては、人生があちらへこちらへと向きを変える。
けれどそれは向きを「変えた」んだろうか。
それは偶然ではなく必然だったんじゃないだろうか。

人は誰しも「選ばなかった方の人生」を知ることは出来ない。
アタマで想像して「選ばなかった」ことを後悔したところでそれは存在したかすら分からない単なる空想で、確かなのは「現在」と、生き続ける限りこれからも自らが「選ぶ」結果だけなのだ。

それが、望むと望まざるとに拘らず。

というのが大方の”現実”だと思うんだけど。
だからこそ僕はこのドラマの「大切なことは殆ど”間に合わせて”くれる」ところが特に好き。
そこから作り手の愛情と「人はいつでも何処からでも再生できる」というメッセージを感じる。

ドラマなんだから、奇跡や希望は幾つあってもいい。
そしてドラマに幾つあってもいいことは、人生にも幾つあってもいい。

17話「メンフィスからこんにちは」の絵葉書がアップになるカット。
それを目にした途端、画面が滲んで見えないくらい涙が出てきた。
僕の一番好きなシーン。

と。
あと一つ付け加えると、とにかくもうベス(「ランダルの奥さん」)が回を追う毎にどんどん素敵。
始めから好感は持っていたけれど、後半に差し掛かる頃には彼女の出番が少ない回にはドラマの出来とは別に若干がっかりするほど。

それはきっと彼女の持つ「強さと甘さ」が僕のパートナーに似ているからなんだけど。

例えば、僕には「飴とムチ」は効かない。
飴はともかくムチには徹底抗戦するか無理なら逃亡するかの二択しかないから(きっとランダルもそうなんだと思う)。

そういう人間には「飴と別の飴」。
そうやって彼女は僕をここまで導いてくれた。

と、最後はまた話が逸れたけれど。
『THIS IS US』本当にいいドラマだった。
(シーズン2、続けてやってくれないかな。)

ついでにパートナーの反応

という事で、連続ドラマを飽きずに最後まで観ることの少ない僕でさえかなり嵌った本作だったんだけど。
大のドラマ好き(国内外問わず)のパートナーは1話をちょろっとだけ見て「これはいらんわ」とバッサリ。
『ゴシップガール』や『BONES』が好きな彼女にとってビッチも死体も出てこないようなアメドラには用はなかったみたい。

まあ、そういうところが好き。