What’s up?

日々がたとえ繰り返しだとしても、僕はそれを愛しているんだ。

リボン街の夜でまた会おう

マークはこのごろ、すごくへんだ。おれが見てないと思うと、長い間、じっとおれを見つめてる。目の前にいる見知らぬやつの中に、昔のブライヨンの面影を捜しだそうとしてるみたいに。おれがだれなのか、さぐりだそうとしてるみたいに。(本文より抜粋)

さよなら、金色のライオン

さよなら、金色のライオン

『さよなら、金色のライオン』スーザン・E・ヒントン

あらすじと感想

9歳の頃に両親を亡くしたマークは幼馴染のブライヨンの家で兄弟のように育った。16歳になった黒髪で大柄なブライヨンと金髪で小柄なマーク、見た目は正反対の二人だったけれどいつでも何をする時も一緒だった。
しかし何処までも続いていると思っていた一本道は少しずつ二つに分かれていく。大人に変わりつつあるブライヨンと「変わらない」ことにしがみつくマーク…

購入した当時、この結末に納得するために、読み終えてからも繰り返し繰り返しこの本を読んだ。
金色のライオンみたいなマーク。
社会で生きるために求められる”人間らしさ”を持たないマーク。

だけど本当にそうだろうか。

確かに法は守らないし善悪の観念も欠如(というよりは自己流)しているけれど、彼は「他者を思いやる」ということが出来る。
それは身内とか仲間とか最低限の範囲ではあるけれど、あるいは「自分の一部」と感じているから結局は自分だけが可愛いのだ、と言えなくもないかもしれないけれど。

それでも。
少なくともブライヨンの言葉には、マーク自身が全く納得できないうえ自分の意思を押え込むのに苦痛を伴うような願いであっても、それに従う。

そんなマークの一面に目を向けないまま変わって(成長して)いくブライヨン。
それが当たり前のことだし、正しいこと。
自分こそは正義の内側にいて、マークは始めから大きく外れたところにいたんだ 一

初めて読んだ時からそんなにいい小説だとも思わなかったし、いつ読み返してもいい小説だと思わない。
けれどまたそのうち僕は読み返すだろう。

かつて僕に確かにあって、いつしか失われたものの残像なり影なりを見つけるために。
それはこの物語の中にではなく、初めてこの本を開いた時の僕の中に沸き上がった何か。
それを捜したい夜に。

手に取ったきっかけ

この本を初めて手にしたのは僕が12歳の頃。
その前年、10近く年上の従姉に連れて行ってもらって初めて映画館で観た洋画『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(当時の副題は”復讐”)に知恵熱が出るくらい感動して、それから洋画と映画館に嵌って。

同年、友人何人かと初めて「三番街シネマ」へ行った時に観た『アウトサイダー』(1983年/アメリカ)。
その原作者がスーザン・E・ヒントンで、当時アメリカでは彼女の著書が『ライ麦畑のキャッチャー』などと同じく「若者への有害図書」に指定されている、というようなことがパンフレットに書いてあって興味を持った。

それからしばらくして紀伊国屋で彼女の書籍を数冊見かけ、タイトルに惹かれて本作を購入した。

アメリカってカッコいい

ところで『アウトサイダー』。
原作は未読なので映画と本との比較になるけれど、『アウトサイダー』は悲劇も犯罪もありつつ、だけど「若いこと」のポジティブ面を主に描いていた(『さよなら、金色のライオン』はネガティブ面に多くスポットが当たっている)。

それに何って。
アメリカの「不良たち」のビジュアルのカッコ良さったらない。

というか日本の不良がもう超カッコ悪い時代だったし。
(「時代」だけではない気もするけど。)
だいたい改造してまで制服着なくてよくない?

自由っていったいなんだい?

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こちらはいずれ「映画」の方で。